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2005年09月28日

「鬼譚」について

 宿題を提出したら「もっとがんばりましょう」のハンコが捺されて戻ってきました。爆笑。こういう「やんちゃ」をする人、かなり好きですね。
 どうやら「鬼譚」という言葉をめぐって認識の相違があったようですので、自発的に追加説明を施しておきたいと思います。ま、乗りかかった舟だし。「555」の馬・蛇・鶴トリオには今でもけっこう思い入れあるし(笑)。

 鬼譚という言葉、大きな辞書を引いてもおそらく記載されていないと思います。総ての最新版辞書を調べたわけじゃないので確かなことは云えませんが。
 念のためネット検索をかけてみましたが、引っかかってくるのは、夢枕獏氏の『鬼譚』(1991)や『鬼譚草紙』(2001)、菊地秀行氏の『東京鬼譚』(1992)や『暗黒帝鬼譚』(1996)、瀬川貴次氏の〈暗夜鬼譚〉シリーズ(1994〜)など、この言葉を書名に冠した伝奇系作品が大半を占めております。
 そして、それら諸作に共通する「鬼譚」の字義は、「鬼(おに)の譚(ものがたり)」といった程の意味合いであろうと思われます。
 一例を挙げるなら、『東京鬼譚』文庫版に解説を寄稿されている作家の篠田節子さんは、文中で「同時にこれは『東京鬼譚』というタイトルの通り、東京の物語であると同時に、鬼の物語でもある」と記されております。
 また、この言葉の普及に大きく寄与したと思われる夢枕獏さんの名アンソロジー『鬼譚』の編者解説にも「鬼譚」という言葉そのものの定義は見あたらず、それに近い言及として、次のような個所を掲げることができます。

 「さて、遙かな以前から、ぼくは、鬼をテーマにした、かような本をアンソロジストとして編纂してみたいとの欲望を抱いていたのである」
 「鬼に興味を持っている方の入門書としても、まずまずのものができあがったと思う」
 「本書の中には、ぼくの好きな鬼の話ばかりが収められている」

 以上のことから、「鬼譚」とは、1980年代中葉に発する伝奇小説ブームの中から誕生・普及した言葉であり、その意味するところは基本的に「鬼の物語」であり、いま少し踏み込んだ含意を認めるとすれば「鬼をテーマとする伝奇物語」ほどの意味合いであると、とりあえず定義付けられるのではないかと思います(もとより、それ以前に溯る重要な使用例が見出される可能性も否定できません。識者の御教示を待ちます)。
 小生は『響き交わす鬼』の解説中で、「過去と最新の〃鬼譚〃が互(かたみ)に響き交わすことを目指した編者の企図」という形で、この言葉を用いました。
 直接的には、上の定義のとおり「鬼の物語」「鬼をテーマとする伝奇物語」という意味で使っているわけで、カッコで括っているのは、上記の諸作とりわけ鬼物語アンソロジーの先達である夢枕獏氏の『鬼譚』への敬意を込めたものでした。

 さて、白倉プロデューサーは、先にブログ上で「“鬼譚”という視座から専門的にご指弾いただけると、印象批評に終始する堂々めぐりを打破する突破口になりうると考える。ご厚情に甘えるのも心苦しいが、虚心坦懐にご批判を乞いたい」とお書きになりました。
 そこで小生は「“鬼譚”という視座から専門的に」というリクエストを、「鬼の物語という視座から専門的に」という意味に解して、過去に『陰陽師伝奇大全』などのアンソロジーを手がけたアンソロジストとしての立場から、私見を申し述べたわけです。
 すなわち――「鬼の物語/鬼をテーマとする伝奇物語」として見た「仮面ライダー響鬼」(29話まで限定)の顕著な特質は、『今昔物語』の昔から上記の〈暗夜鬼譚〉や高橋克彦氏の『鬼』に至るまで、鬼や妖怪が登場する物語の一典型となってきた「陰陽師伝奇譚」の現代版となっている点にある、と(ここでの陰陽師伝奇譚とは「陰陽道をモチーフとしたり陰陽師を主役とする伝奇物語の総称」程度の意味と御理解ください)。
 そして、陰陽師伝奇譚の根幹を成す「陰陽」二元論に基づく世界観が、いかに「響鬼」のドラマ(29話まで限定)の細部にまで反映されているかを、具体的に例示してみました。また「ご指弾」「ご批判」というリクエストに応えて(とはいえ新「響鬼」を批判することが小生の本意ではないことは、すでに繰り返し表明しているとおりです)、30・31話において、それまで統一感を保ってきた陰陽道的世界観・設定に深刻な矛盾が生じている点を、魔化魍/姫・童子を例に挙げて御説明しました。

 しかるに白倉氏の反応は――「論考としては×。せめて一般的な《鬼》《妖怪》概念や、《鬼譚》という物語が、陰陽道に立脚した上で成立していると論証しなければ虚論にすぎない」という不可解なものでした。
 当たり前のことですが、鬼譚=鬼の物語のすべてが「陰陽道に立脚した上で成立している」わけではありません。しかしながら、たとえば上述の高橋克彦『鬼』や霜島ケイ〈封殺鬼〉シリーズなどをはじめとして、鬼をテーマとする伝奇物語に「陰陽道に立脚した上で成立」している作品が多々存在することは自明であり、現に古典から現代作品にまで及ぶ文学的系譜を形成しているわけです(その一端は『陰陽師伝奇大全』にも提示しております)。そして、その系譜の最先端に「仮面ライダー響鬼」という画期的な映像作品(29話まで限定)が忽然と出現した、というのが、小生の所論でした。
 従いまして、白倉氏のリクエストに対する回答中で、「《鬼譚》という物語が、陰陽道に立脚した上で成立していると論証」する必要は何ら認め得ない、と小生は考える次第であります。
 なお「一般的な《鬼》《妖怪》概念」や、小説以前の民間伝承としての「鬼譚」と、陰陽道との関わりについて探究されたい向きには、『響き交わす鬼』収録作家のお一人である小松和彦氏の諸著作を、まずは手に取られることをお勧めいたします。

 最後に重ねて申しあげますが、「響鬼」の変質について、後任のスタッフを非難するのはお門違いですし、それこそクリエイターに対する非礼な行為であると小生は思います。白倉氏には、御自分なりのやり方でベストを尽くしていただきたいと、心からなるエールを贈らせていただきます。

投稿者 東 雅夫 : 2005年09月28日 11:33 | コメント (18)

2005年09月26日

加門七海さんの「響鬼」論!

 加門七海さんから添付ファイル付きのメールが到着。おやおや、「幽」の締切には早すぎるが……と思いつつ開封して、驚愕。ななな、なんと「響鬼」についての論考ではないですか。発表のアテもないまま、お書きになったものだそうで、「ブログもHPもない私が発表する場がないのが悔しくて(笑)」、当ブログに託されたとのこと。
 早速一読して、ますます驚嘆。なるほど、こんな見方もあるのか……いやはや、さすがに御専門の方は迫力が違いますな。拙論では端折った部分についても、詳しく言及されておりますので、こうした観点からの「響鬼」論に御関心のある方は、ぜひとも御一読のほどを――。


『響鬼』試(私)論/加門七海

 『響き交わす鬼』の中でも語っているように、私は仮面ライダーシリーズそのもののファンではない。シリーズはV3までしか観ていないし、それ自体もまた、ほとんど記憶に残っていない。従って過去の作品のタイプも知らなければ、個々のプロデューサーの力量もわからない。そんな仮面ライダー音痴を夢中にさせたのが、29話までの『響鬼』であり、元の「仮面ライダー? 興味ない」という状態に戻してくれたのが、30話以降の同ドラマであった。
 一もの書きとしては本来、余所様の“お子さん”を批評する行為は己を鑑みて自戒すべき所業だと思っている。が、今回、東氏のブログを通して『鬼譚』としての響鬼の解釈を巡るやりとりを目にしたとき、ドラマそのものはともかく、民俗学的な解釈について記してみたいという欲求が抑えられなくなってしまった。そして誰に見せるあてもなく、パソコンにだらだらと記した結果……拙文を誰かの目に触れさせたいという気持ちが起きてしまったのである。
 というわけで、以下に、フォークロア的な見解に基づいた29話までの響鬼試論(私論)を記してみた。もっとも、高寺氏がどこまで意識的に作品を作っていたかは謎ではあるが(笑)。

 『響き交わす鬼』の対談収録時点で放映されていたのは確か、二十一、二話までだったと思う。そこまでの評価は繰り返しになるので割愛するとして、そののち私が瞠目したのは二十八話――勝手に「黒メーター・白メーター」と呼んでいた者達の名称が「傀儡」だと明かされたときだった。
 彼らを傀儡と呼ぶことによって、また『響鬼』の世界に深みが出たと、私は小躍りしたものだ。
 傀儡は言うまでもなく、操り人形を指す語句だ。人形を操る傀儡師という存在は、平安末期から文献に登場してくる芸能の民のことである。時代が下っての傀儡師達は今の文楽・人形浄瑠璃を作り上げていく一方で、市井からは姿を消していく。が、傀儡の文字が「傀」であるとおり、本来の彼らはマレビトとしての芸能の民=鬼の一族だったのだ。
 偶然にもこれら傀儡師達の最盛期と、鬼が絵巻等にビジュアルとして登場する時期は一致している。その時期とは即ち中世――日本の精神史上の一大転換期であり、神仏と人とのスタンスが大きく変化した時期である。この時期において、鬼は形無き神としての一形態「隠 オン」から個体を持つ鬼となり、傀儡師達芸能の民も、神に直属する聖なる者から徐々に単なる芸人としての凋落を始める。反面、(分化の初期段階ゆえに)個としての神や鬼が人間と最も接近したのが、この中世という時代だった。
 傀儡という言葉を得て、私は『響鬼』は中世的な過渡期の神性を描くドラマとしても解釈できるのではないかと考えたのだ。残念なことに、その結論は観ることができそうにない状態であるが……。

 伝説的な陰陽師・安倍晴明が、神として祀られ始めたのも正しく中世でのことだった。『響鬼』が陰陽道的なテイストに充ちていることは言うまでもない。殊に魔化魍サイドにおいて、その傾向は顕著である。
 姫と童子の声が男女入れ替わっている(いた)のはご存じのとおりだが、傀儡達の白と黒の衣装もまた、陰陽道から見れば、陰(黒・女)/陽(白・男)が逆になっている。この両性具有的な仕掛けは、陰陽道的には命としての完全な姿を現している。やや乱暴な説明になるが、陰陽道≒道教では、男女の性を兼ね備えたものを太一(タオ)とし、命を創造する核としているからだ。
 傀儡が大地に杖を突き刺して魔化魍を誕生させるのも、母なる大地と男性的なシンボルの交合の結果にほかならない(杖を立てるという行為自体“場”を生成するまじないでもある)。
 では、それらタオ的な存在を生成する男女とは、如何なる存在なのであろうか。
 本来、太一こそを根本のカオスとする陰陽道において、その上に立つものが陰陽分化しているのは辻褄が合わない。しかし、彼らは創造主である。強引な解釈になるのを承知の上で、男女の創造主という点のみに着目するならば、彼らは神そのもの、即ちイザナギとイザナミに喩えられるかもしれない。とはいえ、猛士達の活動場所が全国にあることを思えば、この疑似イザナギ・イザナミもまた、唯一無二の存在ではない。『響鬼』の世界では、その上にもうひとつ、真実の造化の神というべきものが君臨していたに違いない。
 とすると? 『仮面ライダー 響鬼』は、神と鬼との対決の物語なのか――?
 魔化魍サイドには鬼の文字を持つ傀儡、鬼の典型的な名称を持つ「童子」がおり、むしろ鬼達よりも鬼らしい名に充ちているではないか。やはり、魔化魍は鬼(悪)であり、むしろ『響鬼』は、鬼と鬼との戦いと解釈すべきではないか?
 そんな疑問も出てくるが、これはとりたてて懸念すべきことではない。古代日本の精神においては、神もまた鬼であり、鬼もまた神なのだから。
 響鬼達もまた、炎や風を象徴した音霊{おとだま}を司る自然の一分体という点において、神性を持った存在だ。
 対談でも話したが、神と鬼、そのふたつを分けるのは人に利するか、災厄となるかだけの違いでしかない。最近、猛威を奮った台風十四号もまた、ある地方では大きな災厄となったが、渇水に悩んでいた地方では恵みの雨として歓迎された。人智を越えた自然の力に善悪の判定を下すのは、飽くまで人間側の眼差しの差でしかない。
 魔化魍も鬼も、神である。魔化魍も鬼も、鬼である。
 ゆえに私は、最終的には、正義の鬼達と魔化魍らは、善悪を超越したひとつの存在と帰していくのではないかと期待していたのだ。

 さて。私は今、魔化魍サイドを神に喩えたが、そう思うにはきちんとした背景がある。なぜなら、彼らが創る魔化魍は、自然の中で季節毎に発生する災厄に他ならないからだ。
 ドラマの中で「夏は小さくて数が多い」モノが出現するとか「今年の魔化魍は」とかいう台詞があった。つまり彼らは季節の風物、年中行事の一環であり、春夏秋冬永遠に産まれ、滅する生命=地球のリズムそのものなのだ。そうでなければ――魔化魍が一時代のみに出現する化け物であるなら、響鬼を始めとした鬼達が過去から存続し続ける理由はない。
 卑近な例を挙げるなら、この作品の中における鬼とは、スズメバチ駆除のプロ集団のようなものである。スズメバチは地球の生態系を担うひとつの生命であり、人に害を加えない限り、我々は彼らを絶滅させようとは思わない。魔化魍と鬼の立場も同じだ。鬼は魔化魍を清め、散じさせるが、壊滅はしない。
 過去のドラマの中で、町中に出てきた魔化魍に響鬼達が驚くという話があったが、その話を観たとき、私は最近の野生動物の異常行動を思い起こした。スズメバチが人里近くに巣を作る、或いはヒグマが里に降りてきて駆除されるという話と、都会に出てきた魔化魍の立場は、かなり近いところにあると思われたのだ。
 あのままドラマが続いていけば、魔化魍の異常出現は、最近の異常気象と同じく、人間側に問題があるという話になったかもしれない。
 魔化魍は自然のサイクルに属するモノであるゆえに捕食する。そして、その餌は人である。但し、彼らはただの動物ではない。自然に近い山里に暮らす人々の魔化魍の食に対する眼差しは(事情を知る猛士以外においては)「神隠し」に等しい人の消失であり、罠でもライフルでも解決できない、畏怖すべきモノの荒ぶりなのだ。ゆえに、それを調律する存在として、音霊を駆使する鬼達がいる。

 鬼は音撃によって、魔化魍を“清め”る。
 殺戮ではなく、散じさせるという発想は、まさに神道的な清め祓えの思想に等しい。神道では穢れを「気枯れ」、正常なエネルギーバランスの崩れた状態と見なしている。この、まさに魔化魍的な存在の最終浄化を、祝詞『大祓』はこう記している。

 速流離姫{はやさすらひめ}といふ神 持ち流離{さすら}ひ失ひてむ。斯(か)く流離ひ失ひてば 罪といふ罪はあらじと 祓へ給ひ清め給ふ……。

 穢れを完全な無にするのではなく、ちりぢりにして海山に放ち、自然の中に帰すというのが清め祓いの思想である。
 命は完全に消滅しない。ゆえに散じた穢れ・魔化魍はまた、巡る季節と共に形を成して出現する。
 その魔化魍が今後、意味もなく人を殺し始めたら。そして、響鬼達が彼らを全滅させてしまったら、背後にある大いなる自然は消滅してしまう。両者は共存し続けてこそ、世界のバランスは保たれるのだ。
 『仮面ライダー 響鬼』の初回が、縄文時代からの命を伝える屋久島だった理由もまた、悠久なる時の中で消長する神と鬼、陰陽の循環を示唆していたのではないか……。
 そんな様々なことを考えながら、私は二十九話までの響鬼を、毎回楽しみにしていたのだった。

※この文章には著作権が存在します。引用は常識的な範囲内でおこなってください。許可なく全文を転載したり、複製を公開、頒布等することは禁止します。

投稿者 東 雅夫 : 2005年09月26日 13:03 | コメント (11)

2005年09月25日

入荷してます……

 『日本怪奇小説傑作集2』、ビーケーワンにもとっくに入荷してましたね、スミマセン。
 解説では戦後の作品にまで言及する紙幅がなく次巻まわしになってしまったのですが、久生十蘭「妖翳記」、三島由紀夫「復讐」、円地文子「黒髪変化」といった、大別するならサイコ・スリラー系に属するような作品群の妖しさにも、ぜひ御注目いただきたいと思います。人間観察の深みと、それを表現する筆の冴え、達意の文体……「やっぱり人間がいちばん怖い」云々といった、ホラー・ブームのさなかに流行したフレーズは、これくらい人の世の怪奇な実相に肉迫しえてはじめて用いられるべき言葉なのではないかという感を深くしました。
 それら一連の作品の暗澹たる読後感に、一服の清涼剤となってくれるのが、山本周五郎の名品「その木戸を通って」。何度読んでも涙腺を直撃される困った作品です。この味わい、何かに似ている……と思案することしばし。そうだ、「響鬼」(29話まで限定)における人間ドラマのテイストだ! と想到した次第(笑)。真偽のほどは、ぜひとも現物を比較検証されたし。

日本怪奇小説傑作集 2
紀田 順一郎編 / 東 雅夫編 / 城 昌幸〔ほか著〕
東京創元社 (2005.9)
通常24時間以内に発送します。

投稿者 東 雅夫 : 2005年09月25日 17:40 | コメント (1)

鬼譚・妖怪譚としての「響鬼」について

 鬼譚・妖怪譚としての側面から見た「仮面ライダー響鬼」の考察という宿題にお返事しようとして書き始めたら、どんどんどんどん長くなってしまい、このままでは一冊の『響鬼論』になりかねないよ、どうしたものか……と思っていたところに、銀翔龍さんからまさに正鵠を射たというべきかカモネギというべきか(笑)なコメント(「大阪でも響鬼」および「響鬼をめぐる問題について」のコメント欄参照)をいただきましたので、これにお応えする形でポイントを絞って御説明してみたいと思います。

 私見によれば、鬼譚・妖怪譚としての「響鬼」の世界観を支える基本原理は、陰陽道や風水などでおなじみの「陰陽」二元論であろうと思います(さらに云えば陰陽五行説ということになりますが、そこまで言及すると煩雑になりますので、ここでは省略します)。

陰陽(いんよう)
 原義は山の日かげ(=陰)と日あたり(=陽)で、万物生成の根元である気(き)の両面をあらわす。受動的な陰の気は静・重・柔・冷・暗などを、能動的な陽の気は動・軽・剛・熱・明などをそれぞれの属性とし、万物は陰陽の交合によって生じ、その消長によって四季が形成されると考えられた。「陰陽」の二元的原理は、古代より中国人の世界観や思考法の根幹をなしてきた。(東雅夫編『陰陽師伝奇大全』所収の「陰陽道用語辞典」より)

 陰陽師とは本来、こうした万物生成、大自然の運行の根源である「陰陽」の両気をつかさどる「師」(=マイスター)を意味していたと考えられます。
 たとえば90年代に一大ブームを巻き起こした陰陽師伝奇物の小説や映画に登場する大陰陽師・安倍晴明が、印を結んだり呪文を唱えたりして邪鬼や妖魔の類を退散させるのは、そうした存在が象徴する穢れ=「気」の乱れを清め祓い、鎮め正して、陰陽のバランスを回復させる営為であったわけです。
 「響鬼」の根幹を成すのも、「陰」の気の乱れや過剰を体現する「魔化魍」や「姫と童子」を、「陽」の気を体現する「鬼」たち(本来は「陰」であるはずの鬼が、何故「響鬼」においては「陽」を体現するのかという興味深い問題を論じ始めると、これまた長くなりますし、今回の趣旨からは微妙に逸脱する気もしますので、ここでは触れないことにします)が清め鎮める物語――鬼と妖怪をめぐる物語の一典型である陰陽師伝奇譚の現代的バリエーションであると解釈できます。
 その際に「清めの音撃」すなわち音楽と楽器が呪具として用いられる点も、まことにもって陰陽道の原理にかなっています。
 これについては、以前「ダ・ヴィンチ」の「岡野玲子『陰陽師』特集」に寄稿した拙文の一節をご覧ください。

 陰陽道と音楽とが不即不離の関係にあることは、四書五経の一である『礼記』に含まれる「楽記」(中国古代の音楽理論を集成した書物)中の次のような一節にも明らかだろう。
「君子が礼楽を用いて天下を治めるときは、天地はその能力をいっそう盛んにし、いっそう和合しようと欲し、陰陽二気がよく調和して、万物を育成させるから、草木は茂り、若芽は萌えたち、鳥は羽ばたき、獣は生まれ、虫はうごめき……」
 要するに音楽には、陰陽道の根本をなす「陰陽」の二気を正しく循環させる霊妙な力があるというわけだ。皇室の行事や神社の祭礼で雅楽が奏されるのも、元をただせば、こうした東洋的音楽神秘主義に由来する。(東雅夫「陰陽師と音楽」より)

 さて、第1話から第29話までの「響鬼」には、こうした陰陽師伝奇譚の流れを汲む世界観と斬新で魅力的なアイディアの数々が、驚くほど首尾一貫した形でドラマの細部にまで――いろいろな意味で「和」のテイストを重んじた演出と脚本はもとより、個々のキャラクター設定や大道具・小道具の類、圧倒的だった屋久島の大自然(第1・2話)をはじめとするロケーション等々、本当に隅々にまで、細心の注意とあふれる創意工夫をもって反映されていたように思います。
 「鬼」と変ずる超人的能力の持ち主が、打楽器、管楽器、弦楽器による音撃によって「魔」を祓い清めるという画期的アイディアは云わずもがな。陰陽道の流れを汲む山岳宗教・修験道の本場である吉野が、鬼および猛士の本拠地とされている点といい、師のもとで修業研鑽を積む(=鍛える)ことで超人的能力を身につけ、免許皆伝で「鬼」になるという点といい、支援組織「猛士」に魔化魍のデータが文献として蓄積され、それらをもとに気象条件その他を勘案して魔化魍の出現時期や形態を予測している点といい……ディスク・アニマルが、陰陽師の使役する「式神」の進化形であるとされている点ばかりが、「響鬼」と陰陽道や修験道との接点ではないのです。
 一方の「魔化魍」や「姫と童子」についても、「傀儡」が杖を大地に突き刺す(きわめて呪術的にして創世神話的ですらある行為!)ことによる誕生の場面や、音撃を受けて木の葉状に四散する死の場面は、彼らが母なる自然の懐から誕生し、またそこへ還ってゆく精霊的な存在であることを如実に示していました。
 魔化魍たちが「東雲のオオナマズ」「大洗のアミキリ」などと、それぞれ具体的な地名を冠して呼ばれ、また出現場所によって、その形態や性質に差異が生ずるとされているのも、そうした設定をきちんと踏まえていて実に秀逸でした。
 また、初期の魔化魍が、自然界に実在する生物の巨大化(バケガニ、オオアリ等)か、キメラ(=合成獣/ツチグモ、イッタンモメン、ヌリカベ、オトロシ等)として造形されていたのも、彼らが自然界の気の乱れや歪みによって生ずる存在であることを強調するうえで非常に効果的であったと思います(もっとも、その後登場した「夏の魔化魍」は、一転して天狗や河童、怪猫といった伝統的妖怪の姿態を踏襲していたわけですが……)。
 魔化魍の養い親として、姫(陰)と童子(陽)というファクターをわざわざ介在させているのも、同様の効果を生んでいたと云えるでしょう(この点については銀翔龍さんがコメント中で、とても興味深い指摘をされています)。毎回、同じ役者さんによって演じられることにより、彼らが「個」としての存在ではなく、循環変容する自然の営みの魔的側面を体現した存在であることを表現していたのも、また男声と女声を入れ替える演出により、両性具有性と異人性を際立たせていたのも、卓抜なアイディアでした(これには姫・童子役の両俳優の好演も寄与していると思いますが)。
 彼らが人を襲う目的が捕食のためであるというのも、自然界の食物連鎖に則った行為であると云えます。このため魔化魍と姫・童子には、従来のライダー怪人のような邪悪さや陰惨さ、そして人為的性格が稀薄であり、その脅威や恐怖は、むしろ自然災害や野生動物がもたらすそれに近いものとして描かれていたように思われます。
 かねてより、陰陽道や修験道、あるいは密教といったオカルト・ジャパネスクの系譜と文芸作品との関わりに着目し、『陰陽師伝奇大全』や『稲生モノノケ大全』をはじめとするアンソロジーを編んだり、雑誌『幻想文学』『幽』誌上で関連する特集を組んだりしてきた小生が、この画期的なドラマにたちまち魅せられたのは申すまでもありません。
 また、『響き交わす鬼』の関係者で、「響鬼」の物語を積極的に評価されたり、あるいは関心を寄せられたりしている作家諸氏――加門七海さんと霜島ケイさん、そして京極夏彦さんが、いずれも当代における陰陽師伝奇譚の卓越した担い手であることも、決して偶然とは思われません。

 さて、それでは30・31話に登場した魔化魍「カシャ」は、これまでに指摘したような特質を備えた存在として描かれていたでしょうか?
 養い親となる姫・童子が介在することなく、自然から切り離された実験室で誕生し、唐突に町中に出没しては、たまたま遭遇した通行人を喰らうのではなくただ焼き殺して去ってゆく……同じく町中に出現した魔化魍であるオオナマズの回(第17・18話)の、周到きわまる描写や演出の数々と較べても、その異質さは歴然でしょう。
 また、その造形も、従来の3パターン(実在生物の巨大化、キメラ、既成の妖怪)のいずれとも判別しかねる、なんとも中途半端な代物でした。
 そして続く第32話――轟鬼が口にした次のセリフに、小生は、自分の判断が誤っていなかった、との確信を深めた次第です。

 「姫も童子も全滅したってことッスかねえ、俺たちけっこうやっつけたし……」

 第29話までの「響鬼」物語の基本設定に照らせば、免許皆伝を許された「鬼」である轟鬼が、たとえ軽口としても、このような言葉を口にすることは、ありえないはずです。
 何故なら、姫・童子が全滅するということは、陰陽二元論をベースとする「響鬼」の世界観そのもの――年々歳々、生々流転してやまない鬼と魔との陰陽響き交わす営みを否定することにつながるのですから。

 リクエストにお応えする形で、鬼譚・妖怪譚としての「響鬼」の特質について、ごく簡単にではありますが管見を記しました。もとよりこれが定説であると主張するつもりはありませんし、実際、銀翔龍さんの書き込みをはじめ、興味深い解釈がすでに多々存在します。拙稿ならびに『響き交わす鬼』を叩き台に、こうした側面からの「響鬼」論議が今後いっそう高まり深められてゆくならば、本望であります。

陰陽師伝奇大全
東 雅夫編 / 浅井 了意〔ほか〕著 訳
白泉社 (2001.1)
この本は現在お取り扱いできません。
大江山幻鬼行
大江山幻鬼行
posted with 簡単リンクくん at 2005. 9.25
加門 七海著
祥伝社 (2000.11)
通常1-3週間以内に発送します。
鬼族狩り
鬼族狩り
posted with 簡単リンクくん at 2005. 9.25
霜島 ケイ著
小学館 (2003.3)
通常2-3日以内に発送します。
魍魎の匣
魍魎の匣
posted with 簡単リンクくん at 2005. 9.25
京極 夏彦〔著〕
講談社 (1999.9)
通常2-3日以内に発送します。

投稿者 東 雅夫 : 2005年09月25日 15:03 | コメント (54)

2005年09月20日

響鬼VS桃太郎

 起き抜けにメール・チェックをしていたら、一柳廣孝さん@『「学校の怪談」はささやく』から非常に切迫した連絡が。げげ、学術雑誌というやつは編集者がいちいち原稿を督促したりはしないものなのね……。とりあえず見なかったことにして(笑)、一路、京都へ出発。
 JRから嵐電に乗り換え、西院とか蚕の社とか、ゆかしい駅名を眺めながら京福太秦駅に到着。太秦といえば映画村よりも秦氏でなじみ深い小生なのだが、なぜか今までまともに訪れたことがなかったのだ。で、映画村が広隆寺のすぐ裏手にあることに一驚を喫する。何故なら広隆寺の牛祭りで、たまたま『新耳袋』の中山さんと京極夏彦さんが別々の取材で鉢合わせしたことがひとつの機縁となって、怪談之怪結成につながっていったからである。昨夜の偶然といい、なんだかなあ……。
 それはさておき、本日の目的は響鬼と桃太郎の宿命の対決を目撃することだ。会場となるイベント・ホールへ向かう途中では、響鬼が来場者にオロナミンCを配っていた。
 そしていよいよショータイム。なかなか凝ったオープニング映像に続き、響鬼と威吹鬼、童子と姫が登場。そこまでは予想された展開だったが、続いて見るからに凶暴そうな「金角」「銀角」という(想定なんだろうな)邪悪な鬼が登場(この手があったか!)、ナマハゲっぽいノリで来場者をいじっているところへ颯爽と若侍風の桃太郎が出現。鬼たちの奸計で桃太郎がピンチに陥ると、なにやらディスク・アニマル風の映像演出で、犬、猿、雉子(に扮した役者さん)が加勢に駆けつける……こうして、邪悪な鬼を従えた童子・姫と、犬猿雉子を従えた桃太郎、そして響鬼威吹鬼コンビの三つ巴による抗争劇が、トンボあり宙乗りあり、さすがに時代劇アクションの本場らしい迫力の熱演で繰りひろげられてゆくのであった。
 子供向けのヒーローショーとはいえ、シナリオ・演出ともニヤリとするような工夫が凝らされていて愉しめる内容だったように思う。とりあえず桃太郎が案外ヘタレだったので溜飲を下げたし(笑)。
 帰りがけに大酒神社や広隆寺をチェック、帷子ノ辻経由で太秦界隈をしばし散策して心の洗濯後、そそくさと帰京。

hibimomoshaw.JPG

投稿者 東 雅夫 : 2005年09月20日 00:21 | コメント (1)

2005年09月19日

大阪でも響鬼

 なんの因果で日曜朝八時にテレビの前じゃなくて新幹線の座席に座ってなくちゃならんのだ……と嘆じつつ大阪へ向かう。関西在住の少壮歴史学者や生物学者らにより結成された某響鬼研究会の決起集会に「顧問」として(笑)参加するためである。まずは詳細な検証作業の参考にするため梅田の上映館で劇場版「仮面ライダーヒビキと七人の戦鬼」を鑑賞、その後、喫茶店にてディスカッションの後、カラオケボックスに場を移して主題歌等の分析をおこなう……というなかなか充実したプログラムだ。
 ちなみに小生、劇場版を観るのはこれで三度目なのだが、他の参加者も御同様であったとは。連休中ということもあってか、劇場は大入り満員だった。東京では買い逃がしたDVDパンフやレターオープナーを嬉々として購入後、「じゃんから」(東京でいうと「歌広場」みたいな感じか)に突入。さるにても「少年よ」が十回近くメイン・ボーカルを替えて周期的に合唱されるカラオケってのも、どうなんだろう……他に小生が歌ったのは「霧の摩周湖」とか「ジャスティファイズ」とか「夜叉のように」とか。

hibikistudy.JPG
↑机上のフィギュアを前に真剣な討議が交わされた

 散会後、留守電に元『新耳袋』担当編集者のTさんからメッセージが入っていることに気づく。「いま心斎橋で木原さん中山さんと食事中なのですが、ヒガシさんもいらっしゃいませんか」……それは歓迎だが、何故オレが大阪にいることを知っている!?
 クルマで心斎橋のお好み焼き屋(美味!)へ駆けつけて事情判明。木原ネットワークおそるべし、クダン情報ばかりでなく怪談之怪メンバーの隠密行動まで把握していたとわ(笑)。木原氏中山氏+T氏のトリオで完遂されたメディアファクトリー版〈新耳袋〉に、スタート時点から完結まで不思議な御縁で立ち会うこととなった小生としても、いろいろ感慨深い一夜となった。
 ようやく天満のホテルに着いて早々にネット検索。響鬼研究会メンバーから教えられたのだが、京都太秦の東映映画村で「響鬼VS桃太郎」ショーが始まっているそうな。『響き交わす鬼』の編者としては聞き捨てならない情報である。確認したところ、明日の月曜日も祝日のため開催されるようだ。

 これは行かねばなるまい!

妖怪文芸 巻之2
東/雅夫??編
小学館 (2005.10)
通常24時間以内に発送します。

投稿者 東 雅夫 : 2005年09月19日 23:21 | コメント (3)

2005年09月17日

妖怪文藝/巻之参、ラインナップ公開

 なんだかんだとやっておりますうちに、第3巻も校了しました。
 いや〜さすがに3ヶ月連続刊行というのは生まれて初めての経験で、けっこうキツかったですが、このうえなく愉しくもありました。まあそれも、小学館文庫編集部のYさんとKさんによる粉骨砕身の好サポートあればこそ。本当にお世話になりました。
 さて、注目の巻之参「魑魅魍魎列島」のラインナップを発表させていただきます。

図説「妖怪郷土玩具絵巻」天野行雄(日本物怪観光)

【特集/魑魅魍魎列島】
「山河」中村苑子
「谷地の魔神が自ら歌った謡『ハリツ クンナ』」知里幸恵編訳
「魑魅魍魎」石上玄一郎
「江戸の化物」岡本綺堂
「屋台の客」東郷隆
「半島一奇抄」泉鏡花
「天狗」室生犀星
「山妖海異」佐藤春夫
「幽霊と化けもの」小泉八雲/平井呈一訳
「風の神」内田百
「村の怪談」田中貢太郎
「南と北」火野葦平
「猫のお化け」伊波南哲
「日本漂流」小松左京

【文藝妖怪名鑑】
「鵺」白洲正子
「一眼国」林家正蔵
「麻布狸穴の婚礼」神田伯龍
「闇梅百物語」河竹新七
「ノツゴ」水木しげる

 今回は巻頭対談ではなく、本書の装画総てをお願いしている妖怪芸術家(!?)天野行雄さんの画と文章による「妖怪郷土玩具絵巻」を全13頁にわたって掲載。本当に飽かず眺め入ってしまう、愉しい企画になりました。
 特集は北は北海道の魔神から南は沖縄の怪猫まで――日本列島妖怪ツアーの趣。土俗の言霊が、その作中に谺するかのごとき特色を有する作品を中心にセレクトしてみました。偶然ですが、『日本怪奇小説傑作集1』の裏バージョンといった趣もありますね(笑)。

投稿者 東 雅夫 : 2005年09月17日 12:55 | コメント (0)

「学校の怪談」論考集、刊行

 以前、前フリしておきました、怪奇な国文学者(!?)一柳廣孝さんの編著による書き下ろし論文集『「学校の怪談」はささやく』が、いよいよ発売になりました。

「学校の怪談」はささやく
一柳/広孝??編著
青弓社 (2005.9)
通常24時間以内に発送します。

 な、なかなか、斬新なカバーなのではないでしょうか。狙ってますか!?(笑) >青弓社
 国文学ばかりでなく、民俗学や口承文学、児童文学など、各分野のエキスパート9名による意欲的論考が収められております。特にさまざまな資料、データが異様に充実している点が嬉しいですね。「学校の怪談」研究のための基本図書となる一冊だと思います。

 「学校の怪談」といえば、時評執筆のため、妖異な英文学者(!?)下楠昌哉さんの新著『妖精のアイルランド』を精読していたら、こんな一節が目にとまりました。

 ……約一万八〇〇〇人の子供たちから収集した学校のフォークロア、……

 これはアイルランドのユニヴァーシティ・カレッジ・ダブリン民俗学科に設置されている「伝承物語収集記録保存棚」のコレクションについて解説された中の一節ですが、どんな内容なのか、烈しく気になりますねえ。
 ちなみに下楠さんのこの本、実はばりばりのケルト系幻想文学面白ガイドブックなので、そちら方面の方はお見逃しなく!

妖精のアイルランド
下楠/昌哉??著
平凡社 (2005.8)
通常24時間以内に発送します。

投稿者 東 雅夫 : 2005年09月17日 12:27 | コメント (0)

速報/『日本怪奇小説傑作集2』見本到着

 御好評をいただいております『日本怪奇小説傑作集2』の見本が届きました。店頭には22日前後に並ぶ予定です。

nihonkaiki2m.JPG

 夭折の天才版画家・田中恭吉の表紙絵、今回は1914年制作の「五月の呪」が使用されています。
 戦中・戦後の動乱の時代を生きた幻視者たちの昏い情熱を湛えた作品を収める本巻の内容に、とてもふさわしいセレクションではないかと思っております。装幀をお願いしている間村俊一さんに感謝、です。

投稿者 東 雅夫 : 2005年09月17日 12:07 | コメント (1)

ネクロノミコンふたたび!?

necronogr.JPG

 学研から、ドナルド・タイスン著/大瀧啓裕訳『ネクロノミコン――アルハザードの放浪』の初校ゲラが到着。
 これで『クトゥルー神話事典 第三版』改訂作業のための準備が総て整った。

クトゥルー 13
オーガスト・ダーレス??〔ほか〕著 / 大滝/啓裕??編
青心社 (2005.6)
通常24時間以内に発送します。

投稿者 東 雅夫 : 2005年09月17日 11:55 | コメント (0)

2005年09月16日

「響鬼」をめぐる問題について

 先日、小生は「お詫びと訂正/『響き交わす鬼』解説中の記載について」という一文を、このブログに掲載しました。
 すでに別のところにも書きましたが、小生がこのような告知をおこなった動機は、下記のとおりです(上記エントリーのコメント欄から引用)。

 文庫本や雑誌が売れるのは発売直後が圧倒的であり、一ヶ月後には次の新刊に入れ替わってしまいます。『響き交わす鬼』や『ダ・ヴィンチ』10月号で、「ぜひ『響鬼』を観てください!」と読者に向けてアピールをした以上、現在放映中の番組の内実が、以前のそれと異なっていた場合、購読者の皆様を混乱させることになりますし、ひいては今回、御協力をいただいた登場作家の皆様の発言の信憑性を疑わせるような結果にもなりかねません。ですから、その旨、注意を喚起するのが、企画編纂者としての最低限の責務であると考える次第です。

 小生としては、事態の急変に際して、リアルタイムで対応できる「ブログ」というツールを活用したまでのことです。
 そして今後、さらなる事態の転換――つまり「響鬼」という番組が、旧来のテイストに復したと感じたときには、即刻その旨を、このブログで告知したいとも考えております。

 今回の告知、特に最後の一文が、言外の示唆を含むものであることは自認しております。それは怒りと哀しみの感情でした。「響鬼」という真に画期的で素晴らしい作品が、その生みの親の手で最終回まで全(まっと)うされることなく、変質を余儀なくされたことに対する、遣り場のない怒りと哀しみです。その挫折感と喪失感は、我ながら愕然とするくらい底深いものでした。あらためて自分自身が、この作品に心底「ハマって」いたのだということを知らされました。
 とはいえ、その憤りの矛先が、あたかも新スタッフと作品に向けられているように誤解されたことは、まったく本意ではありません。制作スタッフの交代という事態は、特定の個人や組織の責任に帰する類の出来事ではないし、ましてや、新スタッフによる「響鬼」が、旧「響鬼」と違っていたからといって、その責めを当事者に帰するのはお門違いも甚だしいことです。この点については、コメント欄の下記部分を引用しておきます。

 これまで平成ライダー・シリーズを観続けてきた(ただし「剣」は途中でリタイア)人間の率直な印象として、30・31話は、白倉氏と井上氏のコンビが、これまで培ってきた彼ら流のスタイルで、「響鬼」の世界を受け継いでゆこうとしているように感じました。決して手抜きとは感じませんでしたし、こういうイレギュラーな状況下で、あれだけの水準を維持できたのは、たいしたものだと思います。職人芸ともいうべき意地を感じました。
 とはいえ、前任者である高寺氏には高寺氏で、「クウガ」以来培ってきた強烈な個性とスタイルがあるわけで、旧「響鬼」にハマった視聴者の多くは、おそらく高寺氏のその尋常ならざる「こだわり」の部分に反応していたのだと思います。少なくとも小生はそうです。そのことを、30・31話を観て再認識しましたから。
 それぞれが卓越した個性の持ち主であるからこそ、出来上がった作品は、たとえ同一線上のキャストや設定を用いていても、異なるテイストの作品になる……これは当然のことではないでしょうか。

 小生は今後とも「響鬼」という番組を最後まで必ず見届けていきたいと思っています。

 なお、白倉プロデューサーから(ブログ経由で)リクエストをいただきました旧「響鬼」と新「響鬼」の比較検証という「宿題」につきましては、目下、仕事の合間に粛々と書き進めております。今しばらくお時間をいただくことになろうかと思いますが、必ずこの場で(万一、ブログでの公開が難しいほど長大になった場合は、何らかのそれに代わる手段で)、「響鬼」に関心を寄せる皆様のお目にかけることをお約束いたします。

 以上、コメント欄は錯綜して分かりづらいという御意見を受けて、ブログ上にてあらためてコメントをさせていただきました。御理解を賜れましたら幸甚に存じます。

投稿者 東 雅夫 : 2005年09月16日 21:46 | コメント (5)

2005年09月14日

ダ・ヴィンチ10月号で「鬼」特集

 コメントへのレスを書いていて思い出したのですが(汗)、最近なにかと話題の「鬼」に関する本や映像作品のミニ特集を掲載した「ダ・ヴィンチ」10月号、発売中です。
 加門七海さんや中島かずきさんへのプチ・インタビュー、そしてもちろん「響鬼」の話題も登場します。ぜひ御一読を!
 おっと、それから、例の長崎の「産女の幽霊像」紀行が掲載された「ムー」10月号も、同じく発売中です。御興味のある方は、よろしくお願いいたします。

ダ・ヴィンチ 2005年10月号

メディアファクトリー (200509上旬)
通常24時間以内に発送します。

投稿者 東 雅夫 : 2005年09月14日 03:04 | コメント (1)

2005年09月11日

お詫びと訂正/『響き交わす鬼』解説中の記載について

 小学館文庫版『妖怪文藝 巻之弐 響き交わす鬼』について、思いのほか早くネットのあちこちで熱い反響をいただき、とても歓んでおります。言及いただいた皆様、本当にありがとうございます。
 それは良いのですが、実はちょっと困った事態が生じてしまいました。
 同書の解説中で小生は――

 もちろん『響鬼』を未見の方でも十分に愉しんでお読みいただける作品ばかりだが、過去と最新の〃鬼譚〃が互に響き交わすことを目指した編者の企図を十全に味わっていただくには、やはり『響鬼』をご覧いただくに如くはない。放映開始から半年を経過して、DVDの発売も開始されたところではあるし、どうか騙されたと思って、御一見のほどを――。

 ……と書きましたが、肝心な個所が抜け落ちておりました。謹んで、下記のとおり訂正させていただきます。

 もちろん『響鬼』を未見の方でも十分に愉しんでお読みいただける作品ばかりだが、過去と最新の〃鬼譚〃が互に響き交わすことを目指した編者の企図を十全に味わっていただくには、やはり『響鬼』の第一話から第二十九話までをご覧いただくに如くはない。放映開始から半年を経過して、DVDの発売も開始されたところではあるし、どうか騙されたと思って、第一話から第二十九話までを御一見のほどを――。なお、現在放映中の同タイトル、同キャストによる番組は、第二十九話までとは似て非なる別種の作品なので、ゆめゆめ混同されることのなきよう……。

投稿者 東 雅夫 : 2005年09月11日 14:36 | コメント (25)

講座開講のお知らせ

 突然ですが、江東区の豊洲文化センターという所で、この冬、下記のような講座を受け持つことになりました。
 もともと人前で話すのは得意じゃないし、池袋西武のコミカレでやっていたホラー講座もスケジュールのやりくりがつかずリタイアさせてもらった経緯がありますので、講座方面の仕事は基本的に遠慮させていただいているのですが、今回は依頼をくださったのが、以前「幻想文学」の仕事を手伝っていただいたことのあるNさん(國學院大學SF研OG)だったのと、場所が地元(住所は墨田区なんですが生活圏は江東区寄り)ということもあり、なによりミステリーに絡めれば(笑)好きにやってかまわないというオファーだったので、お引き受けすることにした次第です(江東区民じゃなくても受講可能だそうな)。
 おなじく地元つながりということで、宮部みゆきさんが最終回の特別ゲストにお越しいただけることになったそうで、恐縮至極というか感謝感激しております。

 詳しくは下記ホームページ(江東区地域振興会)の「講座」コーナーを御参照ください。
 http://homepage3.nifty.com/l-koto/

名探偵か? ゴーストハンターか?
ミステリーとホラーのあいだに

 なぜ名探偵たちの快刀乱麻な活躍の陰には、常に超常現象や怪異の世界が息づいているのか? 江戸川乱歩の明智小五郎、横溝正史の金田一耕助、その系譜を受け継ぐ現代推理作家の宮部みゆき・京極夏彦両氏の世界にも迫ります。ミステリーとホラーとの妖しいボーダーランドを探ってみましょう。

期 間 : 平成17年11月4日〜平成18年1月13日
回 数 : 5回
曜 日 : 金曜日
時 間 : 19:00〜20:30
定 員 : 20名
受講料 : 6,000円(全5回)
教材費 :  100円(全5回)
問い合わせ先:電話03-3536-5061(江東区豊洲文化センター)
主なカリキュラム:
半七親分(岡本綺堂)と江戸の化け物
明智小五郎(江戸川乱歩)と人形綺譚
金田一耕助(横溝正史)と山陽の怪異 ほか
最終回スペシャルトーク:ゲスト講師 宮部みゆき(作家)

投稿者 東 雅夫 : 2005年09月11日 00:48 | コメント (3)

2005年09月09日

速報/角川ホラー文庫の新刊入荷

 小生編の『血と薔薇の誘う夜に 吸血鬼ホラー傑作選』と『火星の運河 江戸川乱歩のホラー読本』、そして岩井志麻子さんの『合意情死』という、角川ホラー文庫9月の新刊ラインナップが入荷しました。
 しかしこうして更めてカバーデザインを一望すると、角ホも様変わりしたなあ、と実感しますね。今後の方向性にも注目していきたいと思います。
 拙編著はどちらも、非常に思い入れのある本です。何卒よろしくお願いいたします!

血と薔薇の誘う夜に
東/雅夫??編 / 赤川/次郎??〔ほか〕著 / 新井/素子??〔ほか〕著 / 梶尾/真治??〔ほか〕著 / 菊地/秀行??〔ほか〕著 / 須永/朝彦??〔ほか〕著 / 夢枕/獏??〔ほか〕著
角川書店 (2005.9)
通常24時間以内に発送します。
火星の運河
火星の運河
posted with 簡単リンクくん at 2005. 9. 9
江戸川/乱歩??〔著〕 / 東/雅夫??編
角川書店 (2005.9)
通常24時間以内に発送します。
合意情死(がふいしんぢゆう)
岩井/志麻子??〔著〕
角川書店 (2005.9)
通常24時間以内に発送します。

投稿者 東 雅夫 : 2005年09月09日 19:00 | コメント (0)

たちまち三刷決定!

 東京創元社から『日本怪奇小説傑作集1』の三刷が決定した旨、連絡をいただきました。やったー!
 この出版不況な御時世に、ありがたいことであります。
 小生としても、すぐに重版のかかった経験は、『妖髪鬼談』『陰陽師伝奇大全』『稲生モノノケ大全 陰之巻』など、これまでも幾度かありましたが、短期間に三刷目というのは初体験で、感慨もひとしおです。
 御支援を賜りました読者の皆様に、更めて御礼申しあげます。
 今月20日頃には、いよいよ第2巻も上梓されます。
 今回は「新青年」作家たちの競演に始まり、戦時下の三大怪談小説というべき「逗子物語」「幻談」「怪談宋公館」の揃い踏み、作者の意向により初出以来長らく封印されてきた円地文子の幻の恐怖譚「黒髪変化」など、前巻に劣らず盛り沢山の内容で、ついつい解説にも力が入って予定枚数をはるかにオーバー、編集のM原さんに無理を言って急遽、増ページしていただいた(感謝!)次第です。
 紀田順一郎先生による巻序「日本怪奇小説の独自性」も、洋の東西における怪異の特性を悠然と俯瞰する、まことに含蓄深い内容であります。
 どうか前巻に引き続きまして、御愛読のほど、よろしくお願い申しあげます。

日本怪奇小説傑作集 1
紀田/順一郎??編 / 東/雅夫??編 / 小泉/八雲??〔ほか著〕
東京創元社 (2005.7)
通常24時間以内に発送します。

投稿者 東 雅夫 : 2005年09月09日 02:50 | コメント (0)

2005年09月06日

だ〜か〜ら〜!

 トドロキでもイブキでもなくてザンキだと何度いったら以下略。
 『響き交わす鬼』に、今回も実になんとも絶妙な題字を揮毫してくださった京極夏彦さんが、御自身のウェブページで早速(見本が届いたその日に読了いただいたそうな、ちょっと感激)、同書に対する長文のコメントを! ありがたいことです。

 http://www.osawa-office.co.jp/weekly/weekindex.html

 で、その中で、巻頭対談中での小生の発言について、「魔化魍=妖怪なのか、魔化魍⊃妖怪なのか、魔化魍⊂妖怪なのか、発言者のスタンスが(珍しく)わかりにくい」という御指摘があり、それに続けて「「仮面ライダー響鬼」に登場する魔化魍は、作品の外では「通俗的妖怪をモチーフとし、その名を冠して創作された怪しいモノども」であり、作品の中では「各地に伝わる(と作中で設定されている)妖怪伝承の元となった世に災いをなす怪しいモノども」とするのが正しいのではないかと思うのですが、いかがなものでせうか」という問いかけがなされておりますので、お応えしたいと思います。
 小生の発言については、おっしゃるとおり、揺れてますねえ(苦笑)、ケアレスでした。『響鬼』をご存じない読者には、「魔化魍」をとりあえず「妖怪」と呼ぶのが分かりやすいかなあ、でも正確にはそうじゃないよなあ……という対談席上での迷いがそのまま発言に残ってしまっていて、お恥ずかしいかぎり。多少煩雑になっても、正確な説明に補足し直すべきでしたね。ナイスな御指摘ありがとうございました。う〜む……このうえは是が非でも増刷を実現させて改訂したいので応援よろしく!(笑)
 魔化魍の定義に関しては、たとえば「仮面ライダー響鬼 秘伝の書」(「特撮ニュータイプ」9月号別冊付録←よく出来てます!)なんかでも「古来から妖怪や魔物として言い伝えられ、人間の天敵として存在する」とあるので、御説のとおりではないかと思われます。そもそも「魔化魍」というネーミングを「魔と化した魍魎」の意味だと解すれば、イコール妖怪ではありえないわけで。二十九話以前の「響鬼」におけるバトルフィールドがもっぱらアウトドアであることから推しても、「魍魎」という言葉にはけっこう真っ当な意味合いがこめられているように思うんですが、そのあたりは『魍魎の匣』の作者的にはいかがなものか、逆に興味があります(笑)。
 ただ、東映公式の「魔化魍」の説明文などを見ると、どうも魔化魍を妖怪と同義語のように使用しているフシもあって(最新の「ヨロイツチグモ/テング」の項参照)、制作サイドにも若干の揺れがあるようにも感じられますね。そのあたりは、それこそ某「チーム猛士」の面々をはじめとする妖怪系の研究家諸賢による、さらなるツッコミを待望したいと思います。ライセンスの問題さえクリアできれば、本格的な「研究読本」とかもやりたいんですけどねー。

hibikitoei.JPG

↑もちろん初日に丸の内東映に駆けつけましたとも!(笑)

妖怪文芸 巻之2
東/雅夫??編
小学館 (2005.10)
通常24時間以内に発送します。

投稿者 東 雅夫 : 2005年09月06日 08:20 | コメント (3)

2005年09月05日

響き交わす鬼、入荷しました!

 なんだかとんでもない最中に刊行される巡り合わせになりましたが、こんな時だからこそ、これまでの響鬼を愛する皆様には、本書で『仮面ライダー響鬼』という稀有なる作品の素晴らしさを、その懐の深さを、いささかなりと再確認していただけたら幸いに存じます。少なくとも、これまでの放映分だけを取りあげても、この作品がこれから先、長らく語り継がれてゆくだろうことは確実でしょうから。昨日来、ネットに響き交わす慟哭にも似た声々に、「響鬼好き」な人たちの思いの深さを目の当たりにする心地がいたしました。

妖怪文芸 巻之2
東/雅夫??編
小学館 (2005.10)
通常24時間以内に発送します。

投稿者 東 雅夫 : 2005年09月05日 11:20 | コメント (2)

2005年09月01日

響き交わす鬼も見本到着

 何かとお騒がせしておりました『妖怪文藝 巻之弐 響き交わす鬼』の見本が到着しました。

yobun2mihon2.JPG

 ええ〜とその……いろいろ申しあげたいことはある本なのですが、まずは特集の巻頭に据えた馬場あき子さんの短歌連作「鬼剣舞の夜」の中から、なかなかに「輝く少年」しているなあと思う三首を掲げておきます。

 紺よくれなゐ達谷(だつた)の裔(すゑ)は地を蹴りて鬼剣舞す退くなかれ
  *響鬼の特徴あるコスチュームの基本色が実によく伝統を踏まえていることを教えてくれますな。ちなみに「達谷」とは征夷大将軍坂上田村麻呂により滅ぼされた達谷悪路王のこと。

 鬼剣舞どうどどどうとくれなゐはいたく飜し舞ふのに候
  *「輝く少年」クライマックスの装甲ツチグモvs響鬼紅バトルの躍動感あふれる殺陣を彷彿とさせるような……!?

 乾し葡萄の香の立ちゆらぎまがなしく夏休み終る少年の群
  *説明不要?

 店頭発売は9月6日頃の予定です。響鬼好きな方もそうでない方も(笑)、なにとぞ御高覧を賜りたく!

投稿者 東 雅夫 : 2005年09月01日 17:55 | コメント (2)

プヒプヒたんといえば

 先日、鎌野創一郎さんのプライヴェート・プレス〈ビブリオテカ・プヒプヒ〉叢書の第2巻〜第4巻をまとめて拝領し、愉しく読ませていただきました。

puhibooks.JPG

 特に第2巻のモーリス・サンド『迷路』なんぞ、思いかえせばルイ・ヴァックス『幻想の美学』以来、実に三十有余年にしてようやく(!)現物を良質の日本語で読むことができたわけで、嗚呼、長生きはするもんだ、良い時代になった……としみじみ述懐いたした次第です。
 このシリーズ、内容ばかりでなく造本も、お手製とは思えないほど凝っていて、用紙の選択や本文組、細部のデザインなど、随処に趣味の良さを感じさせます。
 乱歩の「白昼夢」と因縁浅からぬ第3巻『伯林白昼夢』(フリードリヒ・フレクサ著)、クービンの挿絵も再録された幽霊屋敷小説の佳品である第4巻『ヴァルミュラーの館』(H・W・ツァーン著)と、どれをとっても「よくぞ見つけて&訳して&本にしてくださった!」と快哉を叫ばしめる逸品ばかり。
 通販も始まったようですので、御興味のある方は下記へアクセスを。どれも入手して悔いなし!(笑)
 http://bibliotheca-puhipuhi.com/tsuhan/form.htm

投稿者 東 雅夫 : 2005年09月01日 17:21 | コメント (0)

見本続々!

 昼過ぎに、Eさん@角川書店から「『火星の運河』の見本が出来ました!」と連絡が。
 タッチの差で、今度はツ嬢@角川書店から「『血と薔薇の誘う夜に』の見本が出来ましたあ〜」と連絡が。
 そして夕刻には、Y氏@小学館から「『響き交わす鬼』の見本、いま届きました」とメールが。
 いやー、1日に3冊の見本出来が重なるってのも稀有なることだと思うので、記念に書きとめておきます(笑)。
 ……というわけで、まずは本日入手した2冊の書影を御紹介。

bloodrosemihon.JPG

 ご覧のように、前作『闇夜に怪を語れば』と鮮やかな好一対を成す姉妹篇となっております。なんともエロティックな薔薇の写真は、『幽』でもおなじみのMOTOKOさんの作品です。このスナップは、てかり気味でナンですが、現物は遙かに深みのある蠱惑的な色合いですので、是非、店頭でお手に取ってご覧ください。

kaseimihon.JPG

 別にその『モノノケ大合戦』と並べたことに深い意味はないです。え? なんかテイストが似ている!?(笑)
 このカバー、プヒプヒ氏がたいそうお気に召してくださったようで嬉しいです。
 http://d.hatena.ne.jp/puhipuhi/20050828

投稿者 東 雅夫 : 2005年09月01日 03:12 | コメント (0)