『夏の終わりに』/立花 腑楽
振り返れば、アスファルトの上には点々と水滴の跡が続いていた。手提げ袋から染み出した水着の雫だ。それもじきに渇いてしまうのだろう。晩夏にしては、酷く暑い日だった。
寒蝉に煽り立てられた太陽は、一体何をそんなに焦っているのか。降り注ぐ苛烈な陽光は、周囲の風景を悉く白く脱色していく。僕が歩いているこの一本道、その両脇にどこまでも続いていく田圃の緑色だけが、この世界で唯一確かな色彩だった
それにしても暑い。僕の脳みそは、熱で半分くらいは溶けてしまったのではないか。視界がぐにゃぐにゃしているのも、きっと逃げ水の所為だけではない。だから、ゆらゆらと道の向こうから、それが見えた時は、実体なのか蜃気楼なのか、はたまた暑さが見せた幻影なのか、すぐには判別できなかった。それは、何やら旗を掲げ、荷台に発泡スチロールの箱を載せた自転車だった。多分、アイスキャンディか何かの引き売りなのだろう。そう思った途端、喉の奥がひきつれるような、強烈な渇きに襲われた。僕はふらふらと吸い寄せられるようにその自転車に近づいていく。
店主と思しき人物は周囲に見当たらない。しばらく待ってはみたものの、きつい日差しは相変わらずで、今にも倒れてしまいそうだ。ついに我慢できなくなって、その発泡スチロールの蓋に手を掛けようとした刹那、不意に周囲に影が差した。背後を振り返ると、夏だというのに真っ黒なコートを着た大男が無言で立っている。その両手には、黒くてカサカサしたものを……。それは何十匹もの蝉の死骸だった。絶句する僕を余所に、その男は蝉の死骸を発泡スチロールにざざっと流し入れると、自転車にまたがった。そして、僕を一瞥すると、「また来年な」とだけ言い残し、凄い速さで走り去ってしまった。
気が付けば、あれほど喧しかった蝉の声はすっかり凪いでいる。すぅと、今年最初の秋を告げる風が、僕の汗をさらっていった。
投稿者:takazawa 2007年07月22日 17時42分
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