『蚊帳の外』/山本ゆうじ
継承者も絶え、土佐のこの山村に伝わる祭事も愈々今年が最後といふ。記念講演せよとの招きに応じたが、誇り高き村民相手に、万年助教授の僕が民俗学的蘊蓄を垂れるのは些か気まづい。とはいへ濃緑を湛へた田舎の空気は、都会の正体の知れぬ空気とは大違ひだ。
祭事は滞りなく済んだ。古き祖霊を呼び起こしたうへで鎮めるのである。続いて、仰せつかつた講演では訳の分からぬ理屈を捏ねた。神妙に耳を傾ける村民諸君は、分かつたのか分からぬのか、うんうんと頷いてくれる。さうすると此方も一角のことを話している気になるから不思議である。
其の後、宴に呼ばれた。嘗ての豪農の古屋敷は懐かしい土と藁の香りに充ちてゐた。囲炉裏を囲んで地酒を酌み交はし、猪鍋を肴に、童の如く古老に昔話をせがむ。この地域は以前に三ヶ月ばかり現地調査をしたが、新たな発見は尽きぬ。仕事柄、無粋と知りつつも堪へきれずにノオトを取りだすと女中に大いに嗤はれた。やがて愉しき宴も果て、
折角ですから御泊まりなされ
と云ふ老女の薦めに従ふことにした。案内される廊下も畳も、踏むと微かに沈み込む。家もその住人も幾星霜を経たであらうか。畳敷きの一室に蚊帳を吊つて頂く。子供の頃は田舎の家で祖母によく吊つてもらつたものだが、この頃は滅多に目にせぬ。四隅の内、最後の一隅の吊り手が中々掛からぬ。見かねて
もう好いですよ、と云ふと
三隅蚊帳は縁起の悪いもので御座いますよ
ああ成る程、さういふ話も聞いた。三隅蚊帳は死人のためのものだと。一方で、古来より蚊帳は魔を禦(ふせ)ぐとも謂ふ。
サ これでよい 今宵は格別ミタマサマが彷徨かれることが御座ひます故
決して朝まで蚊帳の外にお出ませぬやう
さう言ひ残して老女は辞した。
夜更けにフト目が覚めた。嗚呼、果たして蚊帳の外に目には見えぬ姿がひつそり在つた。
投稿者:takazawa 2007年08月01日 2時12分
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