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『白紙美人』/高橋史絵

 周の第二六代 敬王は、即位にからむ内紛があり周を追われ晋人に擁された王である。同じ頃、周に留まる異母兄弟の王子朝も周の王を名乗った。
 この敬王に仕えた呉楽宝は、彼が描いた一幅の青牡丹から異香がしたと評判をよび敬王に召抱えられた逸話をもつ絵師である。
 あるとき、敬王より美人画を所望された楽宝に一葉の白紙が届けられた。この度所望の美人画はこの白紙に描くようにとのことだった。「損じることまかりならぬ」との使者の言葉に楽宝は姿勢をただして白紙にむかった。思案する楽宝の目前に、白紙から枝先の桃花を愛でる一人の美人がゆらりと現れた。怪事に驚惶した楽宝だが、美人の姿に次第に心奪われ、心中に温めていた構図も忘れ去り寝食せずに目前の美人の姿を白紙に写した。
 敬王に納めた美人画は、さすがは呉楽宝、画から美人が抜け出てくると人々の賞賛を得たが、楽宝は「人の賞賛するは、我の描きし美人ではなく、我も見た美人なり」と己の技巧の未熟を恥じた。
 あの紙はどのような名人の手になる品でございますかと思い悩んだ楽宝が敬王の冢宰に尋ねると、冢宰は憔悴した楽宝を哀れんでか仔細を告げた。あの紙はただの紙だが、お前に手渡したときにはすでにある名人の手によって美人が描かれた後だったと。「その画の名人、不写之写を知る人なり」との冢宰の言葉に、楽宝は敬王のもとを辞し、その名人を求めて旅に出たまま戻ることはなかった。
 呉楽宝の描いた美人画は、その出自を隠されて周の王子朝のもとへと贈られた。王子朝は後に近臣 召伯盈の裏切りにあい、周の全ての典籍と画を持って楚へと奔る。召伯盈がなにゆえ王子朝に叛くこととなったのかは明らかでなく、史実には「召伯盈逐王子朝」と一文が記されているのみである。

投稿者:kazuto 2008年06月01日 0時40分

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コメント

アイオライトという不思議な石がある。正面から見ると、高貴なる宝石ブルーサファイアとそっくりに見えるが、すこし角度を変えると水のような無色透明に見える。
中国の歴史を題材に怪談を書くということは、つまるところ、この無色透明な石を、いかに本物の高貴な石に見せかけるかという挑戦であり、それは、作者の知識や技量がともなっていなければ、「裸の王様」状態を招きかねない危険な挑戦でもある。
私は、今回、畏怖する二人の若き天才と、尊敬する二人の博覧強記の女史を、一種、プルターク的に語ってみることを試みたのだが、やはりそれは、私のような地方のタウン誌、ミニコミ誌レベルの書評家には荷が重すぎた。「自分の分をわきまえろ」というお叱りは、甘んじて受けるつもりである。

投稿者 Kazusa.m : 2008年08月21日 08:35




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