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『百合』/我妻俊樹

 小五のとき、そんな約束はおぼえがないのに、ゆりという女の子がうちに遊びに来た。
 母は学校の同級生と勘違いして私の部屋に待たせておいたのだ。
「お姉ちゃんの友だちじゃないの?」と私。
「直子ちゃんいますかってはっきり言ったもの」とはいえ母は不安そうだ。
 私はおそるおそるドアをあけた。実際には会ったこともない子供と、親友という設定で遊ぶ夢を見ることがたまにある。そういう子のひとりが何の間違いかで、現実に遊びに来たのかもしれない。そんなことを空想したのだ。だが部屋には誰もいなかった。母の出した紅茶が手付かずのまま残されている。母にそう告げにいくと、玄関に家族の靴しかないのを確かめてからしきりと首をかしげた。
「ほんの十分くらい前だったのにねえ」
 外は雨が降り始めている。道路の濡れる匂いがぬるい風とともに流れ込んできていた。
 私は部屋にひとりでいるのがなんとなくいやで、リビングに宿題を持って降りた。母が紅茶のカップを洗っている。
「ねえどんな子だったの」
 私が訊くと母はうーんと言ったきり返事をしない。しばらくたってから台所のホワイトボードをもって目の前に立っていた。
「直子は本当にこの子に心当たりないの?」
 ボードの横幅いっぱいに川が描かれていて中央に川を見おろすような姿勢で手足のバランスの悪い女の子が立っていた。長い顔に三日月のような目が縦に並び鼻と口はない。本人のではない手が肩に載っている。長い髪の先が地面に転がるどくろの目の穴に絡まって口からはみ出て水面に垂れていた。川上から花束と一緒に流れてくる人形が私と似ていた。
 唖然とした私が何か言う前に母は「ちがうの!」と叫ぶとあわてて絵を消してしまった。
「やだ私。ちがうのよ」母の額は青白かった。
 母が妹を妊娠していることがわかったのはそれから一週間後のことだ。

投稿者:takazawa 2008年07月22日 11時38分

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