『砂』/わんだら
ある夜、帰宅すると、砂の像になってしまった妻をキッチンで見つけた。南の島の砂浜で集めてきたかのような真っ白な砂だ。首を少しかしげ、右手を前に出した姿勢は何か物問いたげで、少し寂しそうにも見える。
もしかすると、こうなってしまったのは、その夜のことではなかったのかもしれない。毎日毎日、始発で仕事にでかけ、終電で帰ってくるような生活が続いていた。妻とまともに話をしたのがいったい何日前だったのか、まったく思い出せなかった。気づかなかっただけで、砂像になった妻はずっと、ここにこうして立ち竦んでいたのかもしれない。
砂が崩れないように、そっと胸のあたりに耳をあててみれば、もちろん心臓の鼓動など聞こえるはずもなく、ただ、さらさらと、砂が流れていくような音がするばかりなのであった。
それから私は仕事をやめ、ずっとそのような妻と暮らし続けている。砂がひび割れてしまわぬよう部屋の湿度を一定に保ち、時々はその表面に霧吹きで水を吹きかけるのが日課となった。そして、月の綺麗な夜には窓を開け放ち、妻の像にその光をあててみる。白い砂に冷たい月の光がきららに反射して、妻の美しさをいっそう際立たせるのだ。
私は今、このうえなく幸せだが、ただひとつ不安もないではない。それは、この私の体も、どうやら少しずつだが砂になりつつあるように思えることだ。私もまた砂像となりはててしまうのであれば、誰がこうして妻の美しさを維持するというのであろうか?
いや、いっそこのまま、ふたりともどもに崩れ去り、小さな砂丘となりはてるのも悪くはないのかもしれない。だから、やがて、私たちの体のなれのはてがいりまじった砂丘に月光がよく映えるよう、窓のカーテンだけは開け放っておこうと思うのだ。
投稿者:takazawa 2009年06月10日 8時44分
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