『柿をとる人』/小島モハ
不思議な話を父から聞いた。庭に古くからある柿の木にまつわる話だ。
勤労動員で大宮の工場に勤めるため父は東京に残ったが、命からがら空襲を生き延びたのは祖父祖母と父だけではなかった。どういう幸運が作用したか、この庭の柿の木は三月十日の空襲でも焼けなかったのである。その年の秋もなにごともなかったかのように実をつけた。甘柿なのでこのときほどありがたいと思ったことはないという。
父には弟がいた。弟と妹、つまりわたしの叔父と叔母は山形の遠縁の親戚を頼り疎開した。弟は金一という名だったそうだが、それが疎開先であっさり死んだ。肺炎だった。「金ちゃん、おなかすいたようおなかすいたようって、死んだよ」と、帰宅した叔母は言ったという。どうやら親戚は食べ物をけちり芋さえろくに与えなかったようだ。せっかくの疎開が残念なことになったと父はこぼした。
戦争が終わって二年ほどたったころのことだそうだ。夜、柿の木の葉擦れの音がやけにうるさい。父が叔母と起きだしてみると、月影に柿の木がゆさゆさ揺れている。大きな鳥かとも疑ったが、夜中に尾長がくるはずもない。ときに秋、実はたわわに生っている。父はそのとき、ああ、あれは金一だ。金め飢えているんだな、と直感したという。灯りを持ってくることなど考えもしなかった。
その後も秋になると夜中に柿をとりにやってきた。が、葉擦れの音は不思議と父と叔母にしか聞こえなかった。ある年、なにを間違えたか実の熟さないころにやってきたことがあり、イラガの幼虫に刺されたか「いたた」という声が闇のなかで小さく響いたことがあったという。そそっかしさはそのままだと二人は笑いあったそうだ。それもいつからかはっきりしないが、ぱたりとこなくなった。
柿の木はまだ伐られずにたっている。わたしは初夏の陽射しのなかで太りはじめている実を見上げ、まだまだ青いぞと言ってみる。
投稿者:takazawa 2009年07月01日 23時17分
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「本来、異端であるはずの幻想文学が、正統派のものにとってかわりかねない時代になった」と澁澤龍彦が言ったのは、高城修三が『榧の木祭り』で芥川賞を受けた頃だっただろうか?
私見であるが、純文学の傑作掌編と位置づけたい作品である。
語り手の目には見えない怪異なのに、血縁者ならではの優しい眼差しを感じる。とても悲しい物語なのに、湿ったところがまるでない。なぜか私は、色川武大の『雀』を想起した。
永遠に年をとらない世界に行ってしまった叔父を、明るい日差しの下で待っている。はたして、ラストで、主人公の目に、年下の叔父の姿は映っていたのだろうか? 映っていたのだと信じたい。
投稿者 Kazusa.m : 2009年07月02日 01:29