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『波動』/烏本拓

 小糠雨がトタン板と衝突して、こつりこつりと天を響かせている。母親が笑みを浮かべて、人差し指を天井に向けて私を誘導する。幼い私は音に舞い上がったが、じきに雨は止み、気がつけば数年たっていた。
 大学の友人にいきなり、自殺するなよ、と言われた。何の事か見当もたたないが、そんなことを言う友人こそ危ないと思った。大丈夫だ、そう答えるとまた数年たっていた。
 毎朝、ゴミ袋をもって外にでる妻をみていると、なんだか急に恐ろしくなった。細く小さい何かに脳が押しつぶされ、太く大きい何かが脳を貫通するような感覚。なぜか妻も同じような思いをしているような気がした。しかし彼女は、幸せよ、といって笑顔で横を向いてしまった。横から見ると蛍光灯が顔を照らして、笑っているのかいないのか曖昧で、確認しようとじっと見ればみるほど、余計に境がわからなくなった。やっとこっちを見たと思えば、また数年たっていた。
 休日を使って息子を連れ生家へ戻った。家に入ると母親は泣きながら私にしがみついてきた。ほとんどの言葉が泣き声に吸い込まれて聞こえなかったが、寿命が怖い、と言ったところだけはっきり聞き取れた。大丈夫だ、と繰り返して母親を慰めたが、自分でも何が大丈夫なのか分からなかった。夜中になっても、隣の部屋から聞こえる泣き声と雨の音が混濁して、頻りにうるさかった。
 母を亡くして、数年が経った。今際の時にはずっと笑顔を絶やさなかった。幸せな人生だった、と声を絞って言った。母が死んだ頃から、息子と会話していると、言葉が宙を舞って消えていくような気がした。
 数年経った。息子は家をでた。朝のリビングは風通しがよくて、寝汗が冷えるので嫌だった。妻がよくわからない食べ物とコップをテーブルに並べながら、夜中に叫ぶのはやめてね、と注意をしてきたが、私にまるでその覚えはなかった。

投稿者:takazawa 2009年07月08日 21時20分

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