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『梨園のマネキン』/紺詠志

 実家のそばに梨園があって、夏はセミがうるさい。そしてそこを通りかかるたびにギョッとさせられる。道からほど近い、うす暗い梨の木陰に、カカシのつもりか、女のマネキンがボーッと立っているのだった。スラリとしたモデル体型の真ッ白なマネキンだが、いかにも農婦な衣服を着せられ、野ざらしだからボロボロだ。それでも肌の白さだけはヤケにきわだっていて、夜にはボンヤリと顔だけが浮かびあがる。それがじつに気味わるい。
 そのうえ夏場に彼女の前の道を通れば必ずと言っていいくらいセミが飛び出してくる。気が狂ったように飛びまわるから何度となく体当たりを喰らった。あの軽くて乾いた感触は、およそ血のかよった生物とは思われず、これまた気もちがわるい。
 中三の九月の初めごろ、夕闇のなか下校する私は、その道を歩いた。セミの死骸がごろごろしているので、踏まないように下を向いて歩くのだが、この日はその数が妙に多い。うるさいのもイヤだが、死骸を見るのもあの感触が思い出されてイヤなものだ。ウンザリしつつ歩をすすめるにつれ、死骸は数を増してゆくようだった。
 ある地点で、私はさらなる異変に気がついた。いや、気がつかないことに気がついた。いつもなら視界のハシでも否応なく飛びこんでくるはずの、あのマネキンの白い顔に、今日に限って気がつかない。
 おや、と思ってマネキンに目をやると、そこに人影はあった。しかし顔だけが夕闇より暗い。よく目をこらしてみると、女の顔には無数のセミが群がり張りついていたのだ。
 私は実際に「うわ」と声をあげて駆け出した。足の裏でクシャクシャとセミが潰れるのもかまわずに。
 ちょうどその日、入院中の梨園の奥さんが一年の闘病のすえ他界した。なぜか私は彼女の顔を思い出せず、通夜で遺影を見てもピンとこないかんじだったのをおぼえている。

投稿者:takazawa 2009年07月21日 5時58分

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