『薄暗い場所にいる』/小瀬朧
高校をさぼったある日、昼近くに担任が家まで迎えに来た。クルマのなかで説教なんてまったくごめんだ、と身構えていたが、担任は何もしゃべらず、カーステレオから流れるブルーハーツに合わせてステアリングを指で叩いていた。俺は何度か口を開こうとしたけど、胸のあたりのもやもやは、うまく言葉にできなかった。鼻歌混じりの担任に生徒指導室まで連れて行かれ、目の前に進路調査用紙を突きつけられた。迷うことなく、どっかの工場ではたらく、と書いて突き返した。担任は躊躇なくそれをファイルに綴じた。そして、あとはご自由に、と右手でバイバイしながら、振り返りもせずに出て行った。俺は生徒指導室に放置された。普段なら自転車で帰る道をひたすら歩いて帰った。口に流れ込んだ汗がしょっぱかった。二十年前の記憶だ。
死に場所は決めていた。赤い鉄橋だ。最近架けられたこいつのおかげで通勤時間は劇的に短くなったのだが、肝心の俺が工場からお払箱にされては、もう意味はない。
テレビから聞こえてきたブルーハーツが、すでに懐メロ扱いされていたけど、俺に世界とのバイバイを決心させた……というのは感傷に浸りすぎだ。舌打ちしながら欄干から身を乗り出し、薄暗くてもうよく見えない地面に視線を這わしていると、冷たくも温かくもない風が首筋を何度も撫で上げる。俺は欄干に足をかけた。
がっと肩をつかまれた。懐かしい担任の顔が思い浮かんだ。振り返った。誰もいなかった。肩が、熱い。急に怖くなった。何だかわからないけど、怖い。怖い、怖い。そう思った途端、背後の虚空から首をぎゅっとやられた。俺は必死にもがいた。無我夢中で逃げた。死ぬはずだったのに、怖くて逃げた。
二十年前のある日、俺は高校をさぼった。死ねなかった俺は、部屋の片隅で、その日を反芻し続けている。あやふやな旋律を口ずさみながら。今も。
投稿者:takazawa 2010年07月21日 10時45分
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