『ほらねんね』/藤村
熊は二階にあるわたしの部屋へひょいと顔をのぞかせた。二本脚で起ち、低い天井に頭を窮屈そうに押しつけたまま、前脚をつかい器用に襖を開けると、こちらを遠慮がちにうかがった。
わたしは熊がきた、また熊がきた、と思うのだがぜったいに眼をあわせてやらない。あの眼をみると食われてしまうぞ、とひとり勝手に決め込んで布団をひっかぶって熊とだんまりくらべだ。しばらくすれば熊の方がことばどおり音をあげる。
ふおうと唸る声がして、熊はいっそう部屋の中をのぞき込む。わたしはいっそうだまり込む。それから
「ンエー、おー、オうー」
というと、そろそろと静かにわたしの部屋の襖を閉めた。
熊が階下へくだってゆく気配がわたしにはわかった。おおきく溜息をつくと、へらへらとした笑いが下腹からわき起こって、わたしの息はひいひいと浅くなる。ぎし、と熊が階段を軋ませるたびに笑いはいっそうおおきくなった。
熊はいまや四つ脚の格好で階段をくだっているにちがいない。
投稿者:takazawa 2010年07月21日 10時52分
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://blog.bk1.jp/cgi-bin/mt/mt-tb.cgi/10913
コメント